■内地は遠かった
あんちゃんとカンパイしながらも、話すことはそれほど無かった。それ
でも我々は、青森に着いてからどうするかだけは話し合っておいた。
青森に渡ったら、とにかく仙台を目指そう。そうだ、そうなのだ、オレたち
には仙台に行くべき場所があるのだ。仙台には我々の仲間である
「少年」が待っていてくれるのだ。

 「少年」というのは我々チーム文句の仲間である。彼もまた、北海道
の礼文島で一緒の時を過ごした一員であり、チーム文句の中では一
番年齢が若かった。どうせ東北道を走って帰るのであれば、是非少年
の家に立ち寄っていこうと我々二人は考えていたのである。青森に着
いたら一気に仙台まで走って行こう、そしてそこで夏休み最後の日々
をゆっくりと過ごそう、そんな事を考えながらビールを飲んでいたら、あ
んちゃんが半笑いで走ってきて、「すーさんヤバイ、八戸行きフェリー
の窓口にもう何人か並び始めてるよ」
これは大変だと、身の回りの荷物をかきあつめて、いざ場所取りへと
向かった。

しかし走って窓口へ向かって列に並んでしまった後は、またしても退屈
な時間が始まってしまった。こんどは窓口前の通路なので、目の前を
たくさんの人がバタバタひっきりなしに通るから、実に落ち着かない。遂
にやることがなくなった。仕方ない。床にキャンプ用の銀マットを敷いて
本格的に眠ってしまおう。

それから2時間後、予想よりも早くキャンセル待ちの受付が開始され
た。熟睡していたオレは急に起こされて状況の変化に着いていけな
いながらも、慌てて起きあがった。そういえば、キャンセル待ちの整理
券は、オレが11番、あんちゃんは12番。後ろにもまだ随分と人が並
んではいるけれど、11番目あたりだと乗れるか乗れないか微妙なと
ころである。受付が始まったけれど、8番目まででなんと一旦締め切
りになってしまった。次は空きが出次第再開します、と、なんともたよ
りないアナウンス。せっかく慌てて起きたのに肩すかしをくらってし
まった。仕方ないのでふてくされてまた眠る。
それから30分くらいすると、またしても受付が再開された。一番困る
のは、11番目までで受付が終わってしまうことである。「どちらかだけ
乗れなくてここで足止めになったらどうしようか?」ということについて、
一応二人して話し合ってはみたけれど、この話題になった瞬間、お互
いに顔を見合わせて
「ニヤー」
としたまま終わってしまった。
まあ、そういう恐ろしいことは考えないことにしようや、という暗黙の了
解であろうか。

そしてなんと、受付は12番目までで終了!であった。ギリギリセーフ
である。それにしてもこんな綱渡りのツーリングでいいんだろうか?無
計画だからこそ味わう恐怖の体験だ。

フェリーの席が確保できた途端、我々は気抜けして、疲れが一気に出
てしまった。窓口前の通路からもようやく解放され、今度はちゃんとした
フェリーの待合所ロビーに移動することができた。こちらにはベンチが
ある。テレビだってある。ああ、我々もようやく人並みのフェリー待ちとい
うものができるようになったのだなぁ、と、なんだかおかしなことを考えて
しまった。しかしオレはベンチがあるにもかかわらず、窓と柱の中間にあ
るすき間にまたしても潜り込み、さきほどから使っているキャンプ用の銀
マットを敷いて、ここでもう一眠りすることにした。なんとなくこの方が落
ち着くのである。
周囲にはフェリー待ちの人たちがたくさんいるのだが、ロビーが大きいの
でそれほど混雑しているわけではなく、みんなベンチに寝転がっては思
い思いに眠ったり本を読んだりしていた。

2時間ほど眠ると、遂に乗船が開始された。既にここへ到着してから12
時間が経過している。なんだかもうずっと前からここにいたような錯覚を
起こしてしまう。バイクに戻り、ヘルメットをかぶって、フェリーの前まで進
んだ。明け方の港は真っ暗だ。乗船の始まったフェリーの灯りが煌々と、
そしてやや不気味に輝いていた。青森から自走しなくてはならないけれ
ど、しかしこれでどうにか東京まで帰れる目処は着いた。

二輪車の乗船室は狭かった。三十畳くらいの部屋に4〜50人が詰め
込まれた。この環境ではろくに眠れないだろうと思ったが、しばらくする
と上のフロアーにある展望デッキが解放され、海の見える明るい室内で
ゆったりと眠ることができた。
ミタザキ家を出発して以来、初めてゆったりすることができた。



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2002 北海道ツーリング  -20-
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とうとうチケットをゲット!相当に消耗していたのでポーズを取ってくれ
るかどうか不安であったが、さすがにバッチリ決めてくれた。
展望デッキにゴロ寝。12時間ぶりの安堵の時であった。
嬉しいっていうより、なんかもう脱力なのだ。
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