■7月15日(1)  災害の記憶

奥尻島を津波が襲ったのは、今からちょうど10年前、1993年7月12日のことである。
当時島には地震計が無かったらしいが、おそらく震度6の強震が島全体を襲い、
それからたった2〜3分後に、時速500キロの猛スピードで島を津波が襲ったということだ。

この島の周囲は遠浅の海岸なので、この特殊な地形が津波にブレーキをかけ、波の高さを引き上げ、
100年に一度という大津波を発生させてしまったのだ。
島最南部の青苗地区では9m、藻内地区ではなんと30mの高さになったという。

津波被害の最も大きかった青苗地区に来てみた。
ここは島の中で一番大きな町だ。たくさんの新しい家がずらりと並んで建っている。
しかし町が新しいのは、津波で町が一旦全滅したからである。この街は震災後に全て立て直したのだ。

この街を見て、オレとしては非常に感じるものがあった。
もしもまた津波が来たら確実に被害が出る場所に、また新しい家を建てているからである。
この地域には隣接した高台もあるのだから、そちらに家を建てればいいと思うのだが、
敢えて同じ場所に建てなければならなかった事情でもあるのだろうか?
オレなら同じような場所には絶対に家を建てないだろう。
いくら9mの堤防が新設されたと言っても、やはり危ないことには違いない気がするのだ。
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(左上) 津波で最大の被害を受けた青苗地区は、新しい家ばかり。
(右上) 津波に引きさらわれた青苗岬の跡地。奥尻島津波館には
     このようなパネルが多数展示されている。
(左下) 青苗地区には高さ9mの堤防が取り囲んでいる。
(右下) 奥尻島のシンボル、鍋釣岩。